特集

2023年2月号

みんなが幸せになれる社会って?平和について考えよう

机やいすを汐留駅に運ぶ東京・京橋第一国民学校の子どもたち
もくじ

世界のあちこちで起こっている争あらそい

みなさんは、「戦争せんそう」と聞いてどんなことを思いうかべますか。ふだんの生活で意識意識いしきすることはないかもしれませんが、世界各地かくちでは争あらそいが起こっています。2022年にはロシアがとなりの国ウクライナに侵攻しんこうし、現在も戦闘せんとうが続つづいています。爆撃ばくげきからのがれるため、多くの人がわずかな荷物を持って国外ににげ、日本に来た人たちもいます。

ミサイル攻撃を受けてくずれたウクライナ・キーウ中心部のホテル
ミサイル攻撃を受けてくずれたウクライナ・キーウ中心部のホテル(2022年12月31日撮影)=朝日新聞社提供

20世紀せいきにはアジアでもたびたび戦争せんそうが起こりました。1954年に北と南に分かれたベトナムでは、統一とういつと独立どくりつをめぐって争あらそいが起きました。この争あらそいは「ベトナム戦争せんそう」と呼よばれ、1975年まで続つづきました。朝鮮半島ちょうせんはんとうでは、1950年に北朝鮮きたちょうせんと韓国かんこくの間で戦争せんそうが起こりました。1953年に協定きょうていが結むすばれ、休戦状態きゅうせんじょうたいが続いています。

日本も昔、戦争せんそうをしていたことがあります。1939年にドイツがポーランドに侵攻しんこうし、世界中の国をまきこむ戦争せんそう「第二次世界大戦だいにじせかいたいせん」がはじまりました。アジアの国ぐにに勢力せいりょくをのばしていた日本もこの戦たたかいに加くわわり、若い男性だんせいたちは兵隊へいたいとしてアジアの戦場せんじょうに送られました。

戦争せんそうが激はげしくなると、国内の都市部も空襲くうしゅうで焼やかれ、子どもをふくめ大勢おおぜいの市民しみんがなくなりました。1945年3月には沖縄おきなわにアメリカ軍ぐんが上陸じょうりく。同じ年の8月には広島ひろしまと長崎ながさきで史上初しじょうはつの原子爆弾げんしばくだんがアメリカによって落とされ、多くの人が命を落としました。

1945年8月15日、日本が降伏こうふくして戦争せんそうは終わりました。たくさんの尊とうとい命を失うしなった日本は戦争せんそうを二度と繰くり返かえさないことを誓ちかい、現在げんざいに至いたっています。

ひさんな争あらそいはなぜ起きるのでしょうか。争あらそいの多くは資源しげんや土地のうばいあい、宗教しゅうきょうや民族みんぞく、思想のちがいによる対立、国の内部の政治せいじ争あらそいなど、さまざまな原因げんいんが複雑ふくざつにからみあって起こります。はじまった戦争せんそうを終わらせるのは、かんたんなことではありません。

戦争せんそうが変かえた子どもたちの生活

第二次世界大戦だいにじせかいたいせんの間、東京の子どもたちは、どのようなくらしをしていたのでしょうか。

まず、戦争せんそうが長く続つづくと、食料しょくりょうや日用品が不足ふそくするようになり、決められた量りょうしか手に入らなくなりました。そのため、お米さえも十分に食べることができませんでした。もちろん、おかしなどはありません。おなかを満みたすために、野菜やさいのツルまで残のこさず食べることもありました。それでも栄養えいようが足りないため、子どもたちは体調をくずすことがあったそうです。

東京ではたびたび空襲くうしゅうを受けるようになりました。そのため、空襲くうしゅうを受けない地方へ国民学校こくみんがっこうの子どもたちをひなんさせる「学童疎開がくどうそかい」が行われました。子どもたちは親とはなれて生活を送りました。また、戦争せんそうがはげしくなると、旧制中学きゅうせいちゅうがくや女学校の子どもたちは、武器ぶきを作る工場などで働はたらくことになり、勉強ができなくなりました。

机やいすを汐留駅に運ぶ東京・京橋第一国民学校の子どもたち
学童疎開を前に、1944年7月17日、机やいすを汐留駅に運ぶ東京・京橋第一国民学校
の子どもたち=朝日新聞社提供

空襲くうしゅうによって親を失うしなった子どもたちは駅の地下道などで寝起ねおきし、くつみがきなどの仕事をしていました。しかし、それでもものや食料しょくりょうが手に入らず、戦争せんそうが終わった後もうえに苦しむ子どもがたくさんいました。

平和をちかう「東京都平和の日」

東京都墨田区すみだくの都立横網町公園とりつよこあみちょうこうえんには、色あざやかな花だんがあります。これは空襲くうしゅうの犠牲ぎせいになった人を追悼ついとうし、平和を願ねがうためにつくられた平和記念碑きねんひです。記念碑きねんひを作るために、多くの人たちから寄付きふが集められ、2001年に完成かんせいしました。記念碑きねんひの中には、空襲くうしゅうでなくなった人びとの名前を記した名簿めいぼが大切に保管されています。

記念碑の写真
都立横網町公園の祈念碑。花壇は、毎年、都内の小・中・高校生たちがかいたデザインをもとにつくられている。

なかでも1945年3月10日の米軍べいぐんによる空襲くうしゅうは、とくに激はげしいものでした。数時間にわたって焼夷弾しょういだんが落とされ、およそ10万人がなくなったと言われています。この空襲くうしゅうによって約やく27万棟むね(*)が焼やけ、東京都は焼やけ野原のはらとなりました。

現在げんざい、3月10日は「東京都平和の日」と定められています。東京では、この日の14時に犠牲者ぎせいしゃを追悼ついとうするため黙もくとうが行われるほか、戦時中せんじちゅうの東京のようすを伝つたえる行事が開かれます。戦争せんそうを経験けいけんした人たちが少なくなったいま、当時のようすを知ることができる貴重きちょうな機会きかいです。みなさんも近くの行事にぜひ出かけてみましょう。

*総務省そうむしょうのサイト「東京都における戦災せんさいの状況じょうきょう」より

中村なかむら哲てつさんから学ぶ平和への道

紛争ふんそうが続つづくユーラシア大陸たいりくの内陸国ないりくこくアフガニスタンで、多くの人びとから尊敬そんけいされた日本人がいます。中村なかむら哲てつさんという医師いしです。

中村さんはアフガニスタンの村に診療所しんりょうじょを開きました。その後、干かんばつの影響えいきょうで水と食料不足しょくりょうぶそくに苦しむアフガニスタンの人びとのため、井戸いどや用水路を作る活動もはじめました。中村さんのおかげで、荒あれた大地は農作物を収穫しゅうかくできる畑になりました。すると、生活にこまり、給料きゅうりょうをもらうために軍隊ぐんたいに入っていた若者わかものも、武器ぶきを置おき、農業をはじめるようになったそうです。

中村哲さんの写真
アフガニスタンで活動する中村哲さん=PMS/ペシャワール会提供

悲しいことに、中村さんは2019年にアフガニスタンで武装ぶそう集団しゅうだんに銃じゅうで撃うたれ、なくなりました。しかし、中村さんが残のこした井戸いどや用水路などは、いまも人びとの生活を支ささえています。そして中村さんとともに活動してきた人びとは、現在げんざいも混乱こんらんが続つづくアフガニスタンで、けんめいに活動を続つづけています。

中村さんはみんなが幸せになる方法ほうほうを考え、行動にうつしました。「平和な社会」を築きずくために、わたしたちができることはなんでしょうか。

まずは、歴史れきしから学び、他の人を思いやる気持ちをもつことからはじめてみませんか。「自分さえよければいい」と考えていると、自分の幸せのために、他の人の幸せを壊こわしてしまうかもしれません。自分だけでなく、みんなが幸せになれるよう行動する人が増ふえれば、少しずつ平和な世界に近づくのではないでしょうか。

学校のクラスや近所の人など、身のまわりに目を向け、「いま、つらい思いをしている人はいないかな」、「こまっている人のために何ができるかな」と考えてみましょう。そして自分にできることから、取り組んでみてください。

TOKYOものしり辞典じてん

南極大陸なんきょくたいりくはどの国のものでしょう?

地球の南にある氷におおわれた大陸たいりく「南極なんきょく」。じつは、どこの国のものでもありません。南極なんきょくはとても寒い場所で、長い間、だれも足をふみいれることができませんでした。しかし、20世紀せいきに入り、南極なんきょくに探検たんけんした国や近くの国などが「南極なんきょくの一部は自分たちのものだ」と主張しゅちょうするようになりました。

人の手が加くわえられてこなかった南極なんきょくは貴重きちょうな動植物の宝庫ほうこで、その自然しぜんを調査ちょうさすることによって、地球の変化へんかの歴史れきしなどを知ることができます。そのため、1959年に「南極条約なんきょくじょうやく」が結むすばれました。この条約じょうやくで、南極なんきょくは平和目的へいわもくてきで利用りようすること、どこの国も南極なんきょくを自分たちの土地だと主張しゅちょうしないこと、科学調査かがくちょうさを行うときは、国どうしが協力きょうりょくすることなどが定められたのです。

日本は1956年に南極なんきょくへ観測隊かんそくたいを送り、1957年から観測調査かんそくちょうさに取り組んでいます。東京都立川市たちかわしにある国立こくりつ極地きょくち研究所けんきゅうしょの南極なんきょく・北極ほっきょく科学館かがくかんでは、観測隊かんそくたいが持ち帰った本物の南極なんきょくの氷や、観測かんそくに使われた機器きき、動植物の標本ひょうほんなどが展示てんじされています。北極ほっきょく・南極なんきょくで撮影さつえいされたオーロラの映像えいぞうも見ることができます。ぜひ見学しに行ってみましょう!

ホッキョクグマの剥製
南極・北極科学館には、大迫力のホッキョクグマの剥製も展示されている(中央)。

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